■AUTO
2003年 ラリー・デ・ファラオン 総合9位
2003年 AMVシャムロックラリー 総合3位
2004年 パリ・ダカールラリー リタイヤ
2004年 デザートエクスプレス 総合2位
2004年 エスパーニャ・バハ 総合12位
2004年 AMVシャムロックラリー 総合優勝
2005年 パリ・ダカールラリー 総合11位
2006年 イタリアンBAJA 完走
2006年 パリ・ダカールラリー リタイヤ
■データ(モーターサイクル)
1991年 パレナスヘアースクランブル第1戦・総合優勝
1994年 日高2デイズエンデューロ・4ストクラス優勝
1994年 サバイバル2デイズエンデューロ・4ストクラス優勝
1996年 日高2デイズエンデューロ・4ストクラス優勝
1998年 日高2デイズエンデューロ・4ストクラス優勝
1998年 サバイバル2デイズエンデューロ・4ストクラス優勝
1999年 定義400エンデューロ・4ストクラス優勝
1999年 サバイバル2デイズエンデューロ・総合優勝
1999年 日高2デイズエンデューロ・総合優勝
1999年 SSER・総合優勝
2000年 ブランシュ高山オフロードエンデュランス・総合優勝
2000年 SSER・総合優勝
■海外レース(モーターサイクル)
1992年 SCORE BAJA1000 Class 21(125cc以下)2位
1995年 ネバダ・ラリー・総合18位
1999年 U.A.E.デザートチャレンジ・総合20位
2000年 ラリーレイドモンゴル2000・総合優勝
2001年 パリ・ダカールラリー・総合22位
2002年 パリ・ダカールラリー・総合12位
2003年 パリ・ダカールラリー・総合16位
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1970年 7月2日生まれ
国籍 日本
身長 182cm
体重 80Kg
血液型 O+
趣味:モーターサイクルスポーツ・スノーボード
三橋淳は元はライダーであった。高校生のときに初めて手にしたホンダXLR250Rでツーリングを楽しんでいたが、友人と遊びで出場したオフロードレースに魅了され、レースの世界に。しかしそれはモトクロスでもトライアルでもなく、自然の野山を駆け巡る「クロスカントリー」と呼ばれる耐久レースである。その自然の中を走る魅力に取り付かれ、また当時日本で大きく報道されていた「パリ・ダカール・ラリー』にも夢を膨らませていた。
とはいえがむしゃらにレースをしていた訳ではない。どちらかと言うと趣味の世界として、年2〜3回のレースを楽しむと言った程度でしかなかった。その延長で海外レースにも出場するが、それらはすべて手弁当のアマチュア参戦である。
本格的にレース活動にのめり込んだのは29歳からとかなり遅い。トレーニングにモトクロスを始め、レースにも果敢に参加し全国を行脚。ついには日本国内のメジャーレースを総なめにし、事実上日本のトップクロスカントリーライダーへと成長した。その実力を引っさげ、満を持して挑んだパリ・ダカールラ リーは3年連続の完走。プライベーター部門での優勝を飾るなど、その実力を世界に知らしめていたライダーであった。
そんな三橋に、ニッサンからドライバーでのパリダカ出場の話を持ちかけられた。ちょうどファクトリー参戦中のニッサンとしては日本人ドライバーを物色中であり、その候補としてライダーを起用するアイデアがあったからだ。 ライダーとしてチャレンジを続けるか、それとも心機一転、4輪で挑むか。苦渋の選択を迫られた三橋は、ニッ サンのオファーを受け入れる。当時のバイク部門はメーカーの参戦が1社しかなく、ファクトリーライダーへの道がとても難しかったという背景がある一方、望まれているのなら、それに答えるのもアスリート冥利につきる。そんな考えからのニッサン入りであった。
2003年夏。「若手育成プログラム」としてニッサンに参加し、研修先のフランスに飛び立った。 4輪に転向してから三橋は、ほとんど練習する間もなくエジプトで行われた「ファラオ・ラリー」に参戦。そこで いきなり総合9位に入ると、続くミニイベント・「シャムロックラリー」では総合3位に入賞。ルーキーらしからぬ走 りで周りを驚かせた。 4輪転向後では初となるパリダカには、市販車無改造部門にエントリー。ぶっつけ本番で乗った車ではあったが、序盤からクラス2位をキープ。マシントラブルでリタイヤするも、それまでトップ争いを演じ、そのポテンシャル を見せつけたのである。 その後再びトレーニングを積み、「デザートエキスプレス」では総合2位、そして「シャムロックラリー」で総合優 勝を果たし、さらにレベルアップ。そして迎えた2度目のパリダカでは、総合11位、日本人ではトップの成績をたたき出し、ドライバーとしてのセンスを開花させたのである。
そして迎えた3年目、2006年パリダカには、いよいよトップカテゴリーのマシン、NISSAN ピックアップでの参戦が決定。ぶっつけ本番のイタリアンバハでは予選2位(本戦はマシントラブルで後退)をたたき出し、その才能を見せつけた。さらに南アフリカのトレーニングでは短い乗車時間にも関わらず、現地ファクトリーのベテランドライバーと同等のタイムを出すなど、レベルアップを果たす。しかし2006年のパリダカは相次ぐマシントラブルに見舞われ、実力を発揮できずに終わってしまった。
NISSANがその後ダカールラリーから完全撤退してしまった事もあり、2007年のダカールラリーでは、三橋は新たにトヨタオートボディと契約。心機一転、市販車無改造クラスで優勝を目指す。 |