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本当に有難うございました
今回、JUNがダカールラリーに参戦出来るまでには、色々な経緯がありました。
まずは、現地レポーターとしてダカールに飛んだ楠堂カメラマン。
この方がエイプリールフールネタで、JUNがKTMからダカールに参戦すると言わなければ、なにも始まらなかったかもしれません。
そして、そのネタを「面白い!」と言って、ダカールラリー参戦への話が急展開したのは、KTM JAPANの野口社長のお陰です。
この方のご尽力がなければ、今回、JUNがダカールを走ることはありませんでした。
KTM本社への掛け合い、KTMワルシャワラリーチームへのお願いなど、すべて秘密裏に動いてくださいました。
また、JUNをいつも支えてくださっているスポンサーの皆様。
スポンサーの皆様のおかげで、JUNは安心してダカールラリーを走り切ることが出来ました。
本当に有難うございます。
そして、クラウドファンディングでJUNを支援してくださったファンの皆様。
皆さんが応援してくださることが、何よりもJUNのチカラになったと思っております。
皆さんがJUNの背中を押してくれたからこそ、日本人初の南米ダカールラリー完走が出来たんだと思っております。
本当に有難うございます。
KTM JAPAN 野口社長は以前、このようなことを話して下さいました。
「僕らとしては、JUNとダカールに行くってことは、大変な投資です。
でも、それをかけてみたい気持ちの方が上回ってしまいました。
彼とならやれる。
それをみんなに伝えたい。
ファンを増やしたい。
仲間を作りたい。
いつかそれが、KTMやるじゃないか、KTMスゲーな、という気持ちになればいい。
そうしたファンが、KTMのバイクに乗ってみたいな、と思ってくれればもっといい。
そう思ってもらって、恥じないだけのバイクを僕らは作っていますし、そこにはもう絶大な自信がありますから、まずはその場に日本中のバイクファン、JUNファンに一歩踏み出してほしいんです。
そういう気持ちにさせる力が、JUNにはあります。
だから僕は彼としか組む気はなかったし、彼だからこそこれだけのお金をかけて、リスクをしょってでも、ダカールを目指そうと思ったのです。」
この熱い思い、強い信頼感を受けて、JUNはダカールを走ることができました。
そのお蔭で、素晴らしいチームにも恵まれました。
ワルシャワラリーチーム監督のフィリップさん。
その他、素晴らしいスタッフに囲まれて、この2週間を過ごすことが出来ました。
今後、KTMのイベント等でJUNの姿を見かけることがあると思います。
その際には、遠慮無く声を掛けてください。
本人は少々照れ屋ですが、内心すごく嬉しいはずです(笑)
皆様、本当にありがとうございました。
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感謝とお礼
久しぶりに完走メダルをいただきました。
毎年何かしらのトロフィーをもらっていたからか、完走メダルをもらったことはありません。
アフリカ時代にトロフィーと一緒にいくつかもらったけれど、南米になってからはこれが初めてです。
なんでくれないんだろ? 不思議(笑)
現場では多くのメディア、関係者に「なんでバイクにしたの?」って聞かれたけれど、まぁそんなことはどうだっていいじゃないか!
楽しいことがしたいのが僕の生き方だから、楽しい乗り物ならなんだっていいんだ。
KTMは本当に楽しくて良い乗り物だったよ!
ドライバーをクビになって、そのまま終わるのもシャクだなーって思っていたのも事実。
だから、ブエノスアイレスをスタートしてリエゾンを走っている時は、「本当にオレ、ダカールラリーに戻ってきたんだなぁー」っていろんなものが去来して胸を熱くしながら走ってました。
言ってみれば下町ロケット的な物語ですからね(笑)
理不尽な理由で大企業をクビになり、でも多くの仲間と、さらに新しい企業のサポートで再び返り咲く。
今回の参戦劇は、そんな感じですから。
だから、KTM JAPAN の野口社長を始め、ご支援いただいたスポンサーの方々、またクラウドファンディングでご支援いただいた皆様、さらにサイトやfacebookでご声援をいただいた皆様には本当に感謝です。
本当に多くの皆様の支えがあって、今回のダカールラリー参戦があり、また南米ダカール初の日本人ライダー完走という結果を残すことができました。
考えるに、こう言った経緯と皆様の応援と、何より大好きなバイクで毎日走れたことが、”顔に出ていた”のではないかと思います。
いろんな人にいい顔してるって言われました。
自分ではわからなかったけど、きっとそういうことなんだと思います。
長くなりましたが、感謝とお礼の言葉としたいと思います。
もうすぐ日本に帰りますよ!
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最終日雑感
いよいよダカールも最後になりました。
カルロスパズからロサリオまでの競技区間は699Km。SS180Kmのち、400Kmのリエゾンの先にゴールがあります。
SSフィニッシュで束の間喜びをかみしめた後、時間ぎりぎりでブエノスアイレスに向かいます。
ポディウムに間に合うようにするには、最終SSのフィニッシュを捨ててロサリオに直行するプランしかありません。
メディアカーは一路セレモニー地点へ向かいます。
目的地近くに差し掛かり、JUNのSSフィニッシュのニュースを聞きました。
「やった!」
リエゾンは400Km残っていますが、競技者にとっては実質上のゴールです。
この日のコースはあまり面白いものではなかったようでしたが、そんなことよりもこれで目標だった「南米ダカール初の日本人完走者」というタイトルを手に入れたのです!
楽しい日も辛かった日も、すべてはこのために・・・。
JUNおめでとう!
さてここからが大変。フィニッシュからロサリオのポディウムまでの400Km。それを4時間で走らないといけないのです!!!
なにかの計算間違いか?とも思われるタイム設定に、喜ぶ時間もそこそこに出発したそうです。
案の定、表彰式の30分前にJUNから「残り100Kmくらい」という連絡が入りました・・・。
その後、ブエノスアイレス市内が大渋滞。
なかなか前に進まず、止まってメールが打てるくらいだったそうです
当然、時間内に会場についた選手はいなかったという・・・(笑)
そんな状態で、1時間以上も遅れましたが、無事に到着し、JUNは綺麗なジャケットに着替えてKTM JAPANの野口社長とダカールのポディウムに登壇しました。
JUNがこれまでもらったダカールのどの盾よりも、小さなメダル1個でしたが、彼しか持っていないとても大きな意味を持つメダルです。
たくさんの完走者が上がっては降り、流れ作業のような表彰台でしたが、私たちにとっては何よりも大切な瞬間でした。
ポディウムから降りて、インタビューや写真撮影などありましたが、JUNはあまり喜んだ表情ではなく、淡々と質問に答えていました。
あれ?そんなうれしくないのかしら?もっと喜べや!
あとでJUNが言ってましたが、
「いや~。フィニッシュした時は『やったー!!!!!!!!!』ってすごく思ったんだけど、400Kmもリエゾン走ってきたら、頭の中がすごくクールダウンしちゃってさ!リエゾン長いのはダメだわ~」
だそうです。
日本に帰って、たくさんの人に「おめでとう」を言われるでしょうから、その時にじわじわと噛みしめてもらいたいと思います。
(K)
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