岩手でイベントがあり、その帰りに釜石に寄る事にした。
というのも、三陸を見てみたいと思ったからだ。
あれから3年。
まずは、あのときボランティア活動をちょっとだけお手伝いした、山田周生さんの所に。
周生さんは元はパリダカのカメラマンで、世界中を回っていたのだけれど、
バイオディーゼルプロジェクトとして、世界中からオイルを分けてもらいながら
旅をすると言う独自のスタイルで世界一周をし、
さらに今度は日本一周にチャレンジしているさなか、
あの震災と出くわした。
他が燃料がなく動けないところ、
なにせ天ぷら油で動くバイオディーゼルのランクルが、そのとき大活躍して
岩手の人々を助けたという方だ。
玉虫色のなんとも特徴的なランクル。
トラブル知らずだそうだ。
そこに僕も支援物資を運ぶお手伝いをした。
そう書くと偉そうだが、なんて事はない。
暇だったからだ。
なにせあの時は東京は本当にパニックになっていて
自粛しないものは非国民、みたいな、とても嫌な空気が流れてた。
そこから脱出したかった、というのもあった。
地震は自然現象だ。
あがらっても勝ち目はないし無意味。
素直に受け入れるしかない。
でも地震のあとは・・・
それは人間の問題だ。
そういったなか、人間のいい面と悪い面を両方見せられたのが、
あの震災だったと思う。
オレはあの時の、東京にはおろか、日本中に流れていた嫌な空気感を忘れる事はないだろう。
話がそれた。
今、現地ではがれきの片付けなども一段落付いていて(ボランティア的にの話)、
周生さんたちは、次なるステップに動き出していた
空き家を借りて改造し、地元の人やボランティやの方々、
または仮設住宅住まいの方々の憩いの場所となるような、
そんなオアシス的なカフェを製作中。
薪ストーブでの暖房と、ソーラーパネルと風力での自家発電。
さらに周りに畑と田んぼを作る完全自給自足スタイルを目ざしていると言う。
すごいねー。
でもそれ以上にすごいなって個人的に興味を引いたのが、これ!
ボンネットトラック!
しかも現役!
今でも林業のに活用しているとかで、
80歳になるオーナーが自ら運転していくんだと言う!
これはすごいよ!
しかもきれいだし!
というわけで近くにある地元の定食屋で話をして、オレはそのまま海沿いに。
海岸線に行くと、いっぱい看板が出来ていて、
あの津波を忘れないようにと、警戒区域がこうやって表記されている
でも、釜石なんかは、あの津波がくる前から、
駅前に同じような看板があったんだよ。
みんな忘れちゃうんだ。
だからこs、この看板は沢山たてておかなければいけないと思う。
実はこういう看板全国各地にあるんだよ!
あなたの住んでるエリアにもあるかもね。
海沿いだけじゃなく、川沿いとかにもね
そのまま陸前高田にいくと、海沿いはさらに殺風景になっていて、
巨大なベルトコンベアが大量の砂を運び、
奥にある高台に運ばれていた。
あそこに新しい街を作るんだと言う。
ついでに奇跡の木も見てくる事にした。
意外と多くの方々が見に来ていた。
近くには専用駐車場もあり、観光スポットになっているようだ。
木もそうだが、奥にある建物がそのまま残っている。
これは今後も残す予定なのだろうか?
そのまま南下して、気仙沼にも行ってみた。
海沿いは、まだこういう建物が残っていた。
でもやっぱり人間はすごいと思う。
と同時に、自分の無力さをも実感した。
そんな再訪だった。
その車オーナーに相応しい車、相応しい活動・行動を見る思いです。